私は現在、楽しく明るく不妊治療真っ最中で、子供に会える日を心待ちにしている。
最近特に子供っていうことを意識し始めて特に思うことがあって、備忘録的に記しておきたい。
私、子供を持つ、親になるって、人生の主導権を子供に渡すことだと思ってた。
自分の人生から、一歩ステージを降りる、みたいなイメージだった。
でも実際は全く違って、新しいステージに上がるような感覚。
子供を産んで育てさせてもらうことで、新しい人と出会い、新しい環境に出会い、
何よりも愛しい可愛い子供との時間を神様にプレゼントしてもらう、と思うようになった。
近くにいる人の子供との接し方、過ごし方を見ていることが一番の影響かもしれない。
みんな楽しそう。楽しそうな人とだけ居るからかもしれないけど。
私のお母さんは専業主婦で、それはそれはいいお母さん。
私がやりたいことはすべて全く反対せずにやらせてもらったし、お金でも環境でも不自由は全くなかった。
母に反対されたからできない、とか行けない、とかは感じたことない。
過保護に、そしてわがままに育ってしまったかもしれないけど、
明るくて、楽しくて、活発に育った私は、今はいい性格とよく言われる(自分で言っとく。日記だから)
私が素晴らしい性格なのであれば、それはお母さんのおかげであることは間違いない。
けど、お母さんはお母さん自身の幸せはそっちのけだったように思う。
これといった熱中した趣味(特に新しいコミュニティに属するような)は無かったし、
やるといってもゲームやパズル、ガーデニングなど、私たち子供のそばにいて家の中でできるようなこと。
それが母の幸せだったなら、それに越したことはないんだけど、
今私が熱を持っている趣味とか、環境を考えると、母のような子育ては私はできない。
自分のやりたいことが縮小して、もしうは削除されて、子供にエネルギーをすべて注いで
人生の主導権チケットを渡しているような。
チケットをもらってしまって、ここまで大きくなったから、
むしろ今からは母の好きなように生きてほしいと思うし、言っているけど長年の生き方は変わるのは難しい。
好きな場所に行ってほしいし、モラハラ気味な父とは離婚してもらっても問題ないし、
海外でも、海のそばでも、綺麗なお花のそばでも引っ越していいし、お金の援助もするし、
何歳でも趣味は始められるんだから、いろいろやってほしい。
長くなったけど、そんな愛しくていじらしい母のそばにいたから、
親になるということは、そういうことだと思っていた。
ただ、自分で選んだ環境に身を置いてみると、そうじゃないってことに気づいた。
子供と一緒にいろんなところに行って、夫婦だけ・シングルでは行かなかったことやらないようなことをできるステージに上がれるのだと思うと、わくわくする。
はやくこいこい太郎ちゃん(仮・赤ちゃんの名前)
そしてお母さんへの親孝行はずっと続く。
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